ビールにおける「手造り」の考え方

お酒に限らず、食品において「手造り」という表現は、とても人間味があって魅力的に感じる。しかし、「手造り」とは一体なんだろうか?

「手造り」から得られるイメージ

手造り、または手作りから得られるイメージは、「手作業」「丁寧」「職人」といったところではないだろうか。そこから作られる商品は「こだわり」「玄人好み」のような印象をあたえる。

お酒において「手造り」とは何なのか?

かつて日本酒業界では「手造り」の定義を試みて、断念した経緯がある。「手造り」の呼称を定義しようとすると、製法を限定することになる。製法を限定すると、何が酒をつくるのか?を結論付ける必要性がでてくる。突き詰めると日本酒の文化として「本質的には、いかに微生物をうまく働かせるか」ということ行き当たり、それは「製法を限定することなのか?」ということでも「構造が手動式なのか、機械式なのか?」ということでもなかったため、日本酒における「手造り」は定義されることはなかった。

ビールにおける手造りとは何なのか?

翻って、ビールにおける手造りを考えてみる。一般的に「手造りビール」のイメージの強いクラフトビールだが、「クラフト」とはドイツ語の「Kraft」が語源となっている。ビール造りが発展してきた背景には、産業革命による機械化が挙げられるが、その前は力仕事が多かった。それ故、ビール業界における「手造り」には肉体労働のイメージがつきまとう。そう考えると、「手造り」は規模の大小ではなく、『どこまで肉体労働としてビール造りに関わっているのか?』という造り手のリアルな肉体労働における「程度問題」ではないだろうか。

オートメーション化されたビールを「手造り」と言って良いのか?

自動化された設備で造るビールは、製造において人による力仕事が除かれて商品化されている。(当然ですが)

横文字に置き換えると、

・オートメーション(自動化)↔クラフトワーク(力仕事)

・マスプロダクションビール(大量生産ビール)↔クラフトビール(力仕事で造るビール)

と考えられる。ゆえに、アメリカではクラフトビールを定義づけする項目に生産量(生産規模の程度)が含まれている。一方日本はどうだろうか。クラフトビールの定義は規模でもなく、力仕事でもない。だから、日本において『ビールにおける「手造り」とは何なのか?』を説明するのは難しい。

ビールにおける手造りとは(個人の意見)

結局のところ、日本国内においてはビールにおける手造りの定義は難しい。しかし、私個人的には、ベアレン醸造所で100年前の設備に囲まれて思うことは、「歴史的な視点でビールにおける手造り」を定義するのが適切だと思う。なぜならば、ビールが人為的に工業的な改善を繰り返すことにより生産性を高めてきたものであり、オートメーション化する前と後では劇的に生産性が異なるからだ。オートメーション化する前のビール造りにおける肉体的負荷は高く、そのため醸造者は経験によるコツの習熟によって生産性を高めていき、ビールの品質や製品の精度が高まってきた。

そのため、私はオート-メーション化する前と後の構造的な違い(手作業的か、自動的か。道具がアナログか、デジタルか、など)で大きく区別すべきだと感じている。

つまりは(やっぱり)、「程度問題」ということになる。具体的には、ビールの仕込みから熟成までに、製造者が液体に接する頻度が多いかどうか、ということだろう。

年代としては、1900年代前半までの製造方法をとっている醸造所は、「手造り」と言ってもいいと思う。中世の醸造者のギルドサインのモチーフとなっている「マルツシャウフェル」「マイシュクリュッケ」「ビアシェッファー」を使用している(もしくは同様の道具を使用している)醸造所は、肉体労働でビールを製造していると言っていい。なぜ、私がそんな事を言えるか、というと100年前の醸造設備を駆使し、製造チームが額に汗をかいてベアレンビールを造っているのを目の前でいつも見ているからだ。

彼らの仕事が手造りのビール、と言えないならば、国内における全てのビール造りは手造りとは言えないと思う。言い換えるならば、国内で「手造りビール」が存在するならば、1900年初頭の醸造設備を所有しているベアレンを除いて語れない、と私は思う。

2023年7月24日 高橋司

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